ウオーキングブログです。
京都・三条大橋を出発して東京・日本橋を目指して中山道を行く、てくてく歩く旅の17日目。
妻籠宿から野尻宿までを歩いたレポートと共に写真をご紹介します。
2023年10月9日(月・祝) 天候 雨のち曇り ☔→☁
17日目 妻籠宿➡三留野(みどの)宿➡野尻(のじり)宿 距離約16km👣
中山道を行く17日目の妻籠宿は朝から雨模様。
前日16日目にゴールした妻籠宿本陣前からスタート。
妻籠郵便局前のポストは「書状集箱」と書かれた黒い木製のポスト!
手紙を投函できる現役の郵便ポストです。
妻籠の朝の食事の風景。
(=^・^=)
正面に見える高札場を過ぎたら江戸(東京)側見付で妻籠宿も終わり。
妻籠城跡入口。
熊に注意の看板が!!🐻
妻籠城址へは通行止めに。
今回の旅は熊除けの鈴が欠かせません!
現在は営業していない城山茶屋跡より未舗装の旧中山道。
左右一対で現存する上久保の一里塚
この水車が目印の『かぶと観音堂』のある境内の中へ。
旧中山道は境内の中を通っています。
水船タイブのお清めの手洗い場
D51351蒸気機関車が展示してあるSL公園。
公園内にはかつての中央本線旧線の廃線跡があります。
現在のJR中央本線南木曾(なぎそ)駅
中山道から見える南木曾駅前の貯木場
広重の三留野の浮世絵のモデルとなった場所とされる浮世絵スポット。
高台にある東山神社とされる説もありますけどね。
上の写真のこんもりとした木々の下には、国学者で三留野出身の「園原先生の碑」が建てられています。
園原旧富(そのはらふるとみ)氏は木曽を歩き「木曽古道記」「木曽名物記」などの著書があるそうです。
ここは三留野天神社の神官だった園原氏の住宅跡地。
この先は民家の軒先!?
ここも中山道です。
中山道ですのでさっそく、
中山道の道標が示す通り、写真左の細い砂利道へ。
民家の軒先を抜けると三留野地区の梨子沢(なしざわ)橋は新しく架け替えられた橋なのですが、ここはかつて2015年(平成26年)7月9日、梨子沢が台風8号に伴う土石流発生の豪雨災害で犠牲者1名、負傷者3名の人的被害・家屋損壊に見舞われた場所で今でも記憶に残っている場所です。
当時、土石流発生後の梨子沢の様子(関係資料より抜粋)
JR中央本線も甚大な被害に。(関係資料より抜粋)
三留野宿に入ってここも中山道。
碑だけが残る三留野宿本陣跡。
本陣を務めたのは鮎沢家で本陣が明治の大火で焼失する前は、皇女和宮一行や明治天皇なども宿泊していたようです。
写真中央にある神社の鳥居が立っているこの辺りも広重の三留野の浮世絵の構図に似ている気もします。
木曽川沿いの国道19号。
今は整備された国道を歩くことができますが、昔の木曽川沿いの中山道はわずかな道で危険な桟(かけはし)を何か所も渡らなければならず、旅人にとって命がけの道だったようで与川道という峠を越える中山道の迂回路も存在します。
旧中山道、JR十二兼(じゅうにかね)駅の手前に
道祖神
ここも中山道。
水路トンネルに併設された建設現場の足場のような歩道も・・・
中山道!
坂を下ってすぐ右手に・・・
間近で滝が見れるのも中山道。
左の踏切付近には旧中山道の野尻宿への案内板。
中部北陸自然歩道と書かれた案内板の踏切を渡った先が野尻宿へ向かう旧中山道。
旧中山道脇に佇む妻神社の石碑は村の集落への悪い病気を遮るために祀った神。
激流の水路に架かる橋を渡る道が旧中山道。
右手に下在郷(しもざいごう)の一里塚跡の石碑。
こちらは野尻宿の京都側入口付近の旅館なのですが、
よく見ると、野尻宿の西のはずれで屋号も「はずれ」。
野尻宿内の中山道は遠見遮断といってわざと遠くが見渡せないようにくねくねしていて野尻宿の「七曲がり」と呼んでいます。
今回のゴール、野尻宿本陣跡。本陣跡には明治天皇御小休所碑が立っています。
17日目は20936歩、歩きました。
最寄りのJR野尻駅より帰路へ。
お土産に妻籠職の澤田屋さんで購入した季節物の「栗きんとん」
美味しくいただきました♪🌰
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京都・三条大橋を出発して東京・日本橋を目指して中山道を行く、てくてく歩く旅の16日目。
昨年の夏に馬籠宿に到着して以来の街道旅のレポートと共に写真をご紹介。
2023年10月8日(日)天候 曇りのち雨 ☁→☔
16日目 馬籠宿➡妻籠宿 距離約8km👣
途中、馬籠峠を越えて妻籠(つまご)宿を目指します。
スタートは馬籠宿の京都側の見付(入口)から。
馬籠宿はどこまでも坂、坂、坂の宿場町💦
京都側に後ろを振り向くと・・・
このような眺め。🏔
街道沿いで営む旅籠「但馬屋」さん。
「道中おやき」さんの行列に惹かれて、
野沢菜のおやきを食べ歩き👣
そして中山道からすこし離れた永昌寺の島崎藤村家代々の先祖の墓石に立ち寄り。
現在は島崎藤村記念館となっている本陣跡。
本陣跡前には木曽五木の左からひのき、こうやまき、あすひ(あすなろ)、ねずこ、さわら。
わらじを売っている!!
わらじ履く人っているのかな?
買う人っているのかな?
外人さんがお土産に買っていくのかな?
なんて想像しながらてくてく👣
馬籠宿も江戸(東京)側のこの見付(入口)で終わり
道標には「江戸まで八十里半!(約322km)」😲💦
思わず反応してしまう道祖神。
こちらは馬籠宿の夫婦バージョン💛
高台の馬籠上陣場展望台からの眺望。
正面の恵那山の頂上付近には雲がかかっていました。
ちょっと残念・・・
馬籠宿をあとにし山道へ。
すれ違う中山道ウオーカーは半数以上が外人さん!
「How do you like Nakasendo?」と尋ねると、
「Very attractive!」「I'm so exciting!」「Nice road!」
などといった言葉が返ってきます♪
そして、お互いに「Have a good trip.」
外人さんにとってもやっぱり魅力的なんだなあ、中山道。
中山道沿いの食事処「樹梨」さんでランチ♪
テイクアウトでは飲み物にお団子やフランクフルト、アイスクリームなどを売っています。
ざる蕎麦定食に付くご飯は栗おこわ!秋の味覚ですね〜♪
岐阜県と長野県との県境の馬籠峠頂上、標高は790m。
ついに美濃の岐阜県とお別れです、今までありがとう岐阜県♪👏
これからは長野の旅です。
これから歩く木曽路はすべて山の中・・・
無料休憩処「いちこく栃茶屋」
茶屋前では子供たちが大木を切り抜いた「水船」を珍しそうに眺めて、湧き水に触れてみたり。
木製の小さな橋を渡って、
細くスラっとした「女滝(めだき)」
50mほど先には、
わぁ、凄い涼しい風が来る。
豪快な勢いの「男滝(おだき)」
木曽五木のひとつ、さわらの大樹。
左の木のように枝が上に向けて立ち上がっている木を「神居木(かもいぎ)」と呼ぶそうです。
神様が座る枝だそうな・・・
途中、中山道が一部崩落のため迂回路に!
案内に従って行くと・・・
これって民家の敷地内の畑に通じる道じゃない!?
そして旧中山道は長い下りの石畳に。
大妻籠地区
何件かの旅籠が点在する大妻籠。
民家のお庭!?と思われるここも旧中山道なんです。
旧中山道は蘭川(あららぎがわ)にそって妻籠宿へと続きます。
ここも旧中山道。
ここはなんとか通れます。
でも道の左側半分は、
こわっ!!崩落してるやん!!
1日も早い復旧を切に願います。
中山道沿いにある関西電力 妻籠水力発電所
雨の妻籠宿を散策。このころには雨は本降りに。☔
澤田屋さんの栗きんとんは妻籠の名物。
栗きんとん、私もゲットしましたよ♪
高台に位置する光徳寺。
光徳寺では住職さんを訪ねて、かつて中山道を京都まで何往復もしたという車輪のついた貴重なこの籠車を見せていただきました。
今でいう車のサスペンションのような役割のようなものがついていて、荒れた道でもある程度揺れを吸収できたそうです。
光徳寺から見下した妻籠宿。
妻籠宿を観光で訪れたことのあるかた、妻籠宿を上から見たことありますかね?
あちこちと道草をしましたが、妻籠宿本陣に到着してこの日のゴール!
17894歩、歩きました。
17日目妻籠宿〜 に続く・・・
京都・三条大橋を出発して東京・日本橋を目指して中山道を行く、てくてく歩く旅。
岐阜県の中津川宿から馬籠宿までを歩いた15日目の記録です。
レポートと共に写真をご紹介します。
2022年7月31日(日)天候 晴れ
15日目 中津川宿➡落合宿➡馬籠宿 距離約9km
前回ゴールの中津川宿の和菓子屋「すや」さんの前からスタート。
中津川宿の高札場跡を過ぎたら、中津川宿も終わり。
次の宿場、落合宿へ向かいます。
「尾州白木改番所跡碑」のあるこの場所では木曽の檜をはじめとする材木を監視する尾張藩の番所があったとのことです。
それほど木曽の材木は貴重なものだったようです。
こちらは二体揃った微笑ましい道祖伸。
中山道は交差点を大きく左折…
でもちょっと待って!
なにやら右側から水が激しく流れ落ちる轟音が!
ここは???
まさかの水力発電所!!
潅漑用水を利用したものでかなり規模は小さいですけどね。
エコですねぇ〜。
地蔵堂の石仏群のあるこの場所は木陰でベンチもあって休憩にちょうど良い場所。
さらにその先には現代の「立場」的なトイレ付きの無料休憩所も。
子野の一里塚跡。こんもりとわずかな塚の形に石碑があるのみ。
落合宿の宿場町が眼下に。
落合宿に入って。
桝形に立つ立派な松の木
落合宿本陣。
この日はラッキーにも本陣内部を無料で公開していました♪
本陣向かいの脇本陣跡地は今は民家に。
今も利用されている宿場の手動くみ上げ式の井戸。
宿場の外れの高札場跡で落合宿も終わり。
落合川に架かる下桁橋からは豪快な滝が望めます。
落合の浮世絵スポットの下桁橋。
高台から見た左に下桁橋、右奥に落合宿。
浮世絵の落合の絵図はこれに近い構図でしたね。
ここからは峠越え。坂の連続で落合の石畳を含む十曲(じっこく)峠となります。
落合の石畳は全長約840m。
新茶屋の一里塚跡。
新茶屋の一里塚跡付近の「是より北 木曽路」の石碑。
資料によると、彫られたこの石碑の文字は島崎藤村の自筆らしいですよ!
ここで美濃路とお別れ、木曽路に入ります👣
「木曽路はすべて山の中である」🏔 by島崎藤村
木曽路初のまたまた登場!二体道祖神。
馬籠宿到着。
馬籠宿の京都側入口にあったのは珍しい消化設備。
屋根の下に手桶が収納されています。
馬籠宿に行かれたらぜひ探してみてください。
桝形を左へ。
左の階段が旧中山道。その先の水車で右へ曲がる桝形に。
この水車は、なんと!
水力発電に利用されているエコな水車だったのです。
電力はこの地域の街灯などに利用しているみたいですよ。
この日は2度ビックリ!2度も水力発電所に巡り会うなんて!
広がる青空〜 白い雲が流れてゆく〜 街を見下ろして〜♪・・・
そろそろエンディングです。
ランチは宿場の入口にある白木屋さんで♪
!?
お店の入口で先客が待ってるぞ!(=^・^=)
最初は置物の猫かと思ったら本物の猫ちゃんでした!
五平餅が食べたかったのかな???
水分補給と五平餅は忘れずに!
この日は16250歩歩いて帰路へ。🚌🚃
今回は1泊2日で街道をてくてく歩いたブラサーファーでした。
京都・三条大橋を出発して東京・日本橋を目指して中山道を行く、てくてく歩く旅。
岐阜県の大井宿から中津川宿までを歩いた14日目の記録です。
レポートと共に写真をご紹介します。
2022年7月30日(土)天候 晴れ
14日目 大井宿➡中津川宿 距離約10km
前回、大井宿の中山道広重美術館がゴールで最寄り駅だった恵那駅からスタート。
早速、宿場には桝形が登場。
※桝形:宿場町でいう桝形は街道を直角に曲げて見通しを悪くし、
外敵が侵入しにくいようにした防衛設備。
旅籠屋「角屋」を継いで約400年の老舗の旅館「いち川」さん。
中山道沿いの明治天皇が中山道御巡幸で宿泊された明治天皇大井行在所跡は
現在は岩井家となっています。
現在ここは本陣脇に道路ができて桝形ではありませんが、
かつて桝形の角に位置していた大井宿本陣。
ここ大井宿本陣は宿場の中心部ではなく意外にも宿場の端に位置するのですが、
重要な本陣がここにある理由それは…
裏手の小高い台地にかつて大井城があったからと言われています。
お城の麓にあえて本陣を構えたようです。
この大井城跡は現在は大井小学校に。
さらに本陣の裏手に鎮座する内城稲荷と
今も湧き出ているという和宮泉(かずのみやせん)。
資料によると、皇女和宮様が本陣に立ち寄られた折にこの井戸水を汲んで
お供えしたとされています。
五妙坂の高札場跡を過ぎたら大井宿ともお別れ。
関戸の一里塚跡。
第一町人発見!お散歩中とのことで、
おばあちゃん:「どちらまで?」
私:「和菓子を買いに中津川まで」
おばあちゃん:「だったら電車のほうが早いよ」だって(^^♪
角にある篠原家明治天皇茄子川御小休所
常夜灯のある交差点を右に曲がると秋葉山道。
篠原家明治天皇茄子川御小休所全景。
三ツ家の一里塚跡。
!!
第一町猫発見!
なでなで
気持ち良さそう♪
ここは恵那山が目前で広重の浮世絵の「雨の中津川」に似た感じ。
2つの顔(双頭)の道祖神。
あれ!?体が1つなんですけど!!
中津川の中津川橋。
中津川宿です。
かつて中山道はこの橋の下流100m程の所に柳の木があって
橋が架かっていたとのことです。
では、実際の旧中山道はどこ?
さあ探してみよう!
ありました!
京都側から歩いてくると見落としてしまいそうですが、
江戸側から歩いてくると中津川橋の手前の
常夜灯が目印のこの赤い線の細い道です。
でもその先100m程で行き止まりに。
その行き止まりの先がこちら。
赤い線のようにかつては中山道が通っていて
今は無き旧中津川橋に続いていたと思われます。
遊歩道には中山道が通っていたことを示す道標があるのみで
今は外壁で塞がれています。
標識には江戸へ(写真左へ)約84里、京都へ(写真右へ)約51里
と書かれています。
そして奥に架かっている小さな橋が現代の中山道。
江戸まであと84里(約336km)かぁ…
中津川宿の左へ曲がる桝形。
角の酒屋さんには梲(うだつ)[※赤丸部分]がありますね!
※梲(うだつ):日本家屋の屋根に取り付けられた防火壁。
火事の際の隣家との延焼防止の役割がある。
商人家や格式の高い家屋にみられる。
中津川中山道歴史資料館の奥には…
中津川宿脇本陣(復元版)があります!
中も見学できますよ。
貴重な展示品や資料以外なら脇本陣の撮影可とのことです。
中津川中山道歴史資料館の斜め向かいの中津川宿本陣跡。
14日目のゴールはここ和菓子の「すや」さんです。
22098歩。
お散歩のおばあちゃん、ちゃんと和菓子買えましたよ!
すやさんの今が旬の「わかあゆ」美味しくいただきました♪
août 16(dimanche) temps
-二零一五年八月十六号(星期天)晴天 -
京都・三条大橋を出発して東京・日本橋を目指して中山道を行く、てくてく歩く旅。
岐阜県の細久手宿から大井宿までを歩いた13日目の後編です。
後編は大湫宿から大井宿のレポートと共に写真をご紹介します。
7月20日(月・祝)天候 晴れ
13日目 大湫宿→大井宿 距離約14km
大湫宿をあとにし、
中山道の難所の一つ、『十三峠』に入ります。
しゃれこ坂(八丁坂)を示す碑と観音碑(右奥)
尻冷やし地蔵尊の地蔵尊の後ろからは泉が湧いているといいますが
確認できず・・・
こちらは念仏によって水が湧きだしたという『巡礼水』。
今もその湧水がありました。
権現山の一里塚
樫ノ木坂
この公衆トイレ・・・
実はソーラーパネルの付いた自家発電式エコトイレなのです。
水は雨水をろ過して使用しています。スゴイでしょ!
これって、熊や猪などを捕獲するために
仕掛けたワナの檻ですよね!?
そんな檻を見たあとに
大久保観音坂を歩いていると・・・
突然、何かが目の前を横切った!!!
さて問題です。
この写真の中に目の前を通り過ぎた動物がいます。
それは何でしょう?
答えは最後に。
※正解しても何もございません。
藤村高札場跡。ということは・・・
この辺りにもかつて宿場が存在してたということ?
このあたりは深萱立場といって、宿と宿の中間に設けられた
間(あい)の宿があったとされます。
写真のような旅籠もあったとのことです。
四ツ谷の部落にあるこの自動販売機は十三峠で
唯一存在する自動販売機だと思われますので、
水分の調達にオススメします。
そしてその先の四ツ谷集会所は休憩にもってこい!の場所。
うつぎ原坂
広がる青空 白い雲が流れてゆく♪
街を見下ろして♪
光浴びながら 見上げながら♪
追いかけよう のんびり行こう♪
乱れ坂
!!
左のお地蔵さんの首がない!
その名も『首なし地蔵』
この『是より西十三峠』の碑に来たら
十三峠の終了。
大井宿に入りいよいよ今回の3日間の旅のエンディングが
近づいてまいりました。
太陽に腕を伸ばして からだ中に風を吸い込もう♪
だんだん今日が好きになる 笑顔のままいられそうだ♪
Yeah! このまま歩こう♪
大井宿で立ち寄ったこの『恵那かんから餅』さんでお土産を。
実はこの『恵那かんから餅』さん、
7月いっぱいでお店を閉めてしまう
とのことでとても残念です。
どうしてもかんから餅が食べたかったので
お店を閉める前に立ち寄れて良かったぁ。
13日目のゴールは中山道広重美術館。
33411歩、歩きました。
なにせこの日は約20kmも歩きましたからねぇ。
最後に写真クイズの答えです。
正解は ヘビ でした。
種類でいうとヤマカガシです。
しかも目の前をスルスルと通り過ぎた後、
口を開けてこちらに向かって威嚇しています。
こわぁ〜〜。